タイで子供に変な名前をつける理由とは?
タイでは昔から、子供にわざと「変な名前」や「汚い名前」をつける風習がありました。 たとえば、「クワーイ(バナナの皮)」とか、「アホ」っぽいあだ名も普通だったんです。
なんでそんなことを?と思いますよね。実はこれ、子供を悪霊から守るためなんです。
昔のタイでは、「赤ちゃんや小さな子供は魂が弱く、悪霊に狙われやすい」と信じられていました。 そこで、わざとみすぼらしい名前をつけて、「この子は取る価値もない」と悪霊をだまし、子供を守ろうとしたわけです。
つまり、愛情からわざと変な名前をつけていたんですね!
同じような風習がある国まとめ
実は、タイだけじゃないんです。世界中に似たような考え方がありました。
中国(伝統的文化)
- 赤ちゃんに「狗蛋(イヌのタマゴ)」とか「阿丑(ブサイク)」みたいな名前をつけ、悪霊から目立たないようにしていました。
ベトナム
- 同じく、わざと悪い名前をつけて神や悪霊の目をそらす風習がありました。
アフリカの一部部族
- 生まれてすぐは仮の名前を与え、大人になって本当の名前を授かるという文化も。
日本(古代〜江戸時代)
- 赤ちゃんに「トメ(止め)」「ナカ(中)」など適当な名前をつけ、正式な名前は元服(成人)まで取っておくのが普通でした。
こうして見ると、「大切な子供を守りたい」という親心は世界共通なんだなぁと感じますね。
ブータンの名前文化はどう違う?
一方で、ブータンはちょっと違います。
ブータンでは、子供の名前はたいていお坊さん(ラマ)から授かるものです。
- 生まれた日や宗教的意味にちなんだ縁起のいい単語が選ばれる。
- 苗字は基本的にない。
- 男女で同じ名前を使うことも多い。
たとえば「ペマ・ドルマ」みたいに、2語の組み合わせで名前を作ります。
つまり、ブータンには「悪霊をだますために変な名前をつける」文化はありません。
ポジティブな願いを込めた名前をつけるのが基本なんです。
ブータンの”Pupu”はうんこの意味じゃない?
ここでよく誤解されるのが、「Pupu(ププ)」という言葉。
英語圏では「poop」=「うんこ」なので、「えっ、ププってうんこ!?」と思われがちですが……
ブータンでは全然違います!
ブータンの「Pupu」は、
- 小さい子供への愛称
- あるいはおじいちゃんおばあちゃんへの親しみを込めた呼び名 なんです。
日本語でいうなら、「チビちゃん」とか「じいじ、ばあば」みたいな感じですね。
英語と音が偶然似ているだけで、意味も背景もまったく違います。文化の違いって、面白いですよね!
ちなみに、ハワイでは「Pupu」は”前菜(おつまみ)”の意味なんですよ。世界には同じ音でも全然違う意味を持つ言葉がたくさんありますね。
日本の空海が幼名”真魚”から改名した理由とは?
さて、ここから日本のお話です。
弘法大師・空海は、幼少期には「真魚(まお)」という名前でした。 「真実の魚」という意味で、すなおで清らかな成長を願ってつけられた名前です。
ですが、彼が本格的に仏教の道に進むため出家したとき、 俗世との縁を断ち、仏道に生きる決意を示すために、名前を変えました。
そのとき選ばれた名前が「空海(くうかい)」です。
- 「空」=すべてのものに実体はない(仏教の基本思想)
- 「海」=限りない智慧と慈悲
この二つを合わせて、「すべてを超えた広大な智慧と慈悲を持つ者」という意味が込められています。
また、後に朝廷から「弘法大師」という尊称を贈られ、今ではこちらの名前の方が有名ですよね。
空海の生涯を通しても、「名前」というものが人生の大きな節目を象徴していたのがわかります。
アイヌにもあった変わった名前文化
実は、アイヌ民族にも似たような風習がありました。
赤ちゃんや幼い子供には、わざと変な、あるいは不吉な名前をつけることがありました。
たとえば、
- 「シトク」(=犬のフン)
- 「チカプ」(=鳥) などの名前です。
理由はもちろん、悪霊(カムイモシリの邪悪な存在)から子供を守るためです。
目立たない、取るに足らない存在だと思わせることで、悪霊からの攻撃を避けようとしたわけですね。
そして、無事に成長したら、正式な立派な名前を授ける儀式が行われました。
この文化は、ゴールデンカムイにもリアルに描かれていて、アシリパさんたちの名前の話からもその片鱗がうかがえます。
世界のいろんな地域で、似たような親の愛情表現があったんですね。
7. まとめ
タイや中国、ベトナム、そしてアイヌ民族などでは、昔から「子供を悪霊から守るため」にわざと変な名前をつける文化がありました。
一方で、ブータンではお坊さんから縁起のいい名前を授かる文化があり、「Pupu」はうんことは全く関係ありません。
また、日本でも空海が幼名「真魚」から出家して「空海」と改名したように、名前には人生の転機を象徴する力があると考えられてきました。
国や文化が違っても、名前に込める思いは、どこか共通しているものがありますね。